
「頭をペコっと下げて、一生懸命(ありがとう)の気持ちを伝えていました。」
先日、娘の保育園の連絡帳にそう書かれてあった。私はこの一文を読んで、少し泣いてしまった。これは家庭の中で、私たち夫婦が幾たびも言い聞かせてきたことだった。それを自分から、親のいないところでできるようになったんだ。
きみはいたずらが好きで、

音楽が好きで、

なんにでも一生懸命だ。

「靴を履いて」のお願いを聞かなかったり、

公園から帰るのにもグズったり、

帽子と保育園エプロンという、変なファッションをしたがったり、

「こうしたい!」という意思を表現するようになった。
私はそれに参ってしまう時がある。
「お願いだから言うこと聞いて」と内心思うことがある。
なぜこんなに泣くの、なぜ寝ないの、なぜ言うことを聞かないの、なぜ、と、心が冷たくなる瞬間がある。
でも、
いつだって抱っこしてほしくて、

いつだって大人の真似がしたくて、

私たちのことが大好きだって、よーく伝わってくるんだよ。
ぎゅ〜っとして頬をすり合わせてると、笑顔になる。私ってこんなになにかを愛することができたんだって、自分でも驚く。泉のように湧き溢れる愛情。あなたがくれたから私もあげる、なんて、そんな駆け引きの一切いらない、与えるだけで精一杯の。私もきみのことが好きで好きで、仕方がないよ。
こら、だめ、あぶない!大丈夫だよ、やったね、頑張ったんだね。あっちこっち走り回って、片付けて、謝って、それでも目を離せないで、落ち着いて考える時間すらない。
だけど、こうして愛しいものを一生懸命に守る日々は、もう何年もしたら、終わってしまう。あとは1人で頑張るきみの背中を黙って見守ることしかできない。私が持てる限りの体力と気力できみを守ってきた毎日を、いつでも見返せるように、宝石にしてしまっておきたい。いつまでもこのままでいたいような、早く成長した姿を見たいような、複雑な気持ち。
伝わるかな?ママはきみの成長に置いていかれないように、走り続けるからね。

